旅行日(現地時間)
2020年1月24日(金)
休養日を設定
昨日の記事でも書いたように出発1週間前から引いていた風邪をそのまま引きずり寝込むほどではないものの体調不良がずっと続いていた。
そこで思い出したのが昨年シャモニーで無料パスを使いシャモニーエリアのバスと鉄道を端から端まで乗り尽した経験である。
Grinderwaldでもホテルにチェックインした時にもらったバスの無料パスがあった。前回Grinderwaldに来たときはハイキングしか眼中になくエリアの地名は頭の中に全く残っていなかった。
話の中で出たり、文章の中に出てくるGrinderwald内の地名がピンとこないという経験が何回もあった。少なくとも地名を聞いて場所がわかるところまでいかなくても聞いたことがあるという程度までは知識を深めたい。
もちろん目的は体力回復第一だがハイキングにしか目が向かないという旅よりももっと地元の風物にも目を向けた落ち着いた大人の旅を実践する良い機会と捉えた。
Grinderwaldバスガイドブック
21日空港から直行し夕刻チェックインした時にバスの無料パスをもらった。それはGrinderwaldバス全路線に無料で乗れるというものだった。ただし例外はBusalpだけ有料になるというもの。
前日Busalpから戻ってくるときに利用したが、その時には乗るときに料金を支払った。もちろん半額パスは有効であった。
表紙
路線図-1
下記路線図中央部のバス停は「Bahnhof」(日本語で鉄道という意味)である。
この連載記事の中で今までバスセンターと表示していたがバス停としての正式名称ではない。
全てのバス路線がこの「Bahnhof」を通過していることが路線図を見ればわかるだろう。
路線図-2
上の路線図-1と共に路線図-2を見ればわかるように全路線乗り尽すためには「Bahnhof」にいて来たバスに乗り、終点まで乗りそのまま折り返し、さらに別の終点まで乗り再びそのまま折り返して「Bahnhof」で降りる。
これを繰り返せば全路線の全てを踏破出来る。
GPSログ軌跡地図
iPhoneアプリGeographicaで記録したGPSログのファイルをGoogleマップのマイマップにインポートして描画したのが下記である。
そのまま見ると太い線のように見えるが全画面にし更に拡大すればいくつもの複数の線がその中に見えてくる。
こうすることで午前中だけでGrinderwaldバス全路線を乗り尽した。
以下の写真の撮影地点を表示出来るはずだが何度試しても失敗した。昨年のブログには上手く表示出来ているので手法を思い出せば更新する予定である。
<追記>2020.03.13 地図上に写真のサムネイルを表示した。
Grinderwaldバス路線写真
Klusiで折り返しを待つ 8:56
周りに何も無いKlusi 8:57
徐々に乗客が集まってきたKlusi 9:03
終点で降りて写真撮影 Oberer Gletscherか? 9:58
レストランらしき建物もあるが人影は無い。
バス停の表示 9:59
運転席の横から 10:22
録音されたドイツ語の車内アナウンス 10:23
移動中の車内アナウンスと車窓風景 10:43
まだ滑れない子供達が遊びながらスキーを覚えるBodmi 10:45
World Snow Festival
フランス・イタリア・ドイツ・スウェーデン等が参加したフェスティバル。
観光客が気に入った雪像に投票できるシステムになっている。
札幌雪祭り経験者にとっては規模がまるで違うため比較にならない。各国当り数人で作業中でいつになれば完成なのか投票の集計はいつなのか詳しいことはわからない。
各国の作品はまだ作業中で見物客はチラホラ 11:07
オランダの作品 11:08
作品の中でまだ作業中 11:08
スウェーデンチーム 11:09
ここもまだ作業中 11:09
横断幕と国旗 13:21
ロープウェイ乗り場下調べ
日本語観光案内所と相談の上翌日のハイキングはMännlichenからHolensteinまでと決めたので、ロープウェイ乗り場の下調べに出かけた。
バス停は「Terminal」で降りてエスカレータで上がればチケット窓口。
Männlichen行きチケット販売窓口 13:45
チケット窓口に客の姿は見えない。これなら明日は楽勝だなと感じた。これがとんでもない思い違いと翌日思い知る羽目になるとは・・・
Männlichenのリアルタイム映像と各コースの状況 13:48
ロープウェイ乗り場 13:48
追記:参考ビデオ
YouTubeにアップされた動画の中でGrindelwaldをバスではなく自分自身の足で歩き回り、それをビデオにまとめているものを見つけた。
Grindelwaldの魅力を知るにはあわせて視聴することをお勧めする。
アップ日付から類推して2019年夏だと思われる。
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