アイガー東山稜の初登攀から100年 なお鮮やかな槇有恒の軌跡

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日本人登山家がアイガーの歴史に名前を刻んでいた

 スイスの山に惚れ込んで何度も通っているのに、その名前を知らなかったことを恥じるばかりである。

 その名前は槇有恒(まきゆうこう)

 下記の記事を発見した時には完全に未知の内容で興味をそそられるものであったため、夢中になって時間を忘れて読み続けた。

 槇有恒という名前が初耳であったため、Wikipediaで調べ、記事中にあるリンクから関連記事についても読み、気がつけば就寝時間を過ぎていた。

 自分の無知の恥をさらすことになるが、ヨーロッパアルプスに関心がある人ならきっとこの記事を読みたいと思うに違いないと考え、ここで紹介し共有したいと思う。

 下記記事中にある2つの「おすすめ記事」も必読である。
 ・アイガー東山稜の初登攀ルート
 ・槇有恒を偲んで

 なお下記リンクには「Error404」が表示されるが、クリックすれば正常に表示される。修正する方法がわかる方は教えていただきたい。

ページが見つかりません

 これより以前2006年12月4日の記事を発見したので、そのリンクも貼っておく。
 「グリンデルワルトと槇有恒」

グリンデルワルトと槇有恒
1921年、27歳でアイガー東山稜を初登攀し「世界のマキ」と称された槇有恒 ( まきゆうこう、1894〜1989年 ) は、いまでもグリンデルワルト ( Grindelwald )に愛されている日本人登山家である。その後も登山界に広く貢献し、62歳になって8000メートル峰のマナスル初登頂 ( 1952年 ) にも導い...
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槇有恒-Wikipediaからの引用

槇有恒 - Wikipedia
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アイガー北壁情報

 当記事とは別件であるが、アイガーといえば北壁の話題を外すわけにはいかない。

 その前に北壁についての現地独語では「Nordwand」、英語では「North Face」と表現される。YouTubeでは英語表記が一般的なので初登頂前の動画が多くアップされているので検索して見るようお勧めする。ただし日本では許されない多くの犠牲者の宙釣りや遺体収容のための動画もそのまま見ることになるため覚悟が必要になる。

 swissinfo.chにもアイガー北壁に関する過去記事がある。その中には日本人も多く登場する。

それらの記事は次回の記事で紹介したいと思う。

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