アイガー北壁の最大の魅力
コルティ遭難事故に関する共著者ダニエル・アンカー氏談。
アイガー北壁はマッターホルン北壁やほかの壁のように奥に隠れておらず、(グリンデルワルトの)近く真正面にどんとそびえ立っている。そのため事故発生当時、人々はグリンデルワルトから登山隊を双眼鏡で観察していた
アイガー北壁の魅力はその『舞台』性にある。この『舞台』を登る登山家たちの姿は、下のグリンデルワルトから双眼鏡で眺めることができる。またその『舞台』に上がっている登山家たちは、登っている最中に電車が通る音や、グリンデルワルトの牧草地にいる牛のカウベルを聞くことができる。アイガー北壁の中を登山鉄道が通っていることも特別だ。それはまるでバックステージのような存在だ。これもまた、私がアイガー北壁を『舞台』と呼ぶ所以だ
YouTube動画
1969年 アイガー北壁の日本直登ルート 実写フィルム
メンバーに一人だけ女性が映っている。現在の今井通子の貫禄たっぷりの様子からは想像もできない可憐な初々しさが年月の長さを物語っている。
アイガー北壁 日本隊直登50周年記念イベント
2019.6.1グリンデルワルトのHeimatmuseumで開催された「日本隊直登50周年記念イベント」の様子。出席者の今井通子・加藤滝男・天野博文3隊員を代表して今井が挨拶している。
いまさらながらグリンデルワルトと日本の結びつきを感じることのできたイベントである。
そんなことはつゆ知らず2020.1にアイガー北壁を毎日眺めながら歩き回っていた。帰国したらコロナのクルーズ船で大騒ぎになっていたことが昨日のことのようだ。その様子は別記事で報告済み。
アイガー北壁・日本直登ルートの冬季ミックスクライミングの動画
全編フランス語で語られている。自動翻訳の日本語字幕は殆ど理解不能。
swissinfo.ch記事 記載日順
2016/09/15 魅力溢れる「死の壁」、アイガー北壁
これまでのアイガー北壁に関する取材記事からアイガー北壁登頂の何が困難なのか、そしてアイガー北壁にしかない魅力が何かをまとめている。
グランドジョラス北壁、マッターホルン北壁と並び、登頂が困難な3大北壁の一つに数えられる。
アイガー北壁で死亡した登山家は2013年7月までで71人。スイス国内外でよく知られる事故には、救助隊のわずか数メートル上で力尽きたトニ・クルツの悲劇や、登山者の遺体が2年間もザイルにぶらさがったまま放置されたクラウディオ・コルティの遭難事故がある。
事故発生当時、人々はグリンデルワルトから登山隊を双眼鏡で観察していた。初登頂前の1930年代には死亡事故が続発し、スイス政府が一時登頂禁止にするほどであった。登山隊が挑戦中は世界中から観光客やマスコミが押し寄せ、ホテルは満杯状態となり大型双眼鏡でホテルからリアルタイムのドキュメンタリードラマを鑑賞する野次馬でごった返したという。

2016/10/27 アルプスの名峰アイガーの景色

2018/12/06 隊長自らカメラに収めた前代未聞の挑戦
6枚の写真がカルーセルになっている。
アルピグレンにベースキャンプを設営したようだ。何度も通過した場所だが知らなかったのでもったいないことをした。
次回はしっかりと味わいたい。

2018/12/20 アイガー北壁「日本直登ルート」開拓50周年 北壁最難関「赤い壁」の足跡をたどる
1969年夏1カ月をかけて、ヨーロッパ・アルプス三大北壁の一つであるアイガー北壁に新ルートを開拓。「Japaner Direttissima(日本直登ルート)」と名付けられた。
それまでは数日間で一気に頂上を目指すアルパインスタイルだった。しかし、日本人登山家たちが採ったのは、ベースキャンプを設置し、テントで寝泊りしながら、ルート工作のために登っては下山し、徐々に高度を上げていくという極地法だった。
特に赤い壁を登るために必要だった1トンに及ぶ装備も話題を呼んだ。

2019/05/02 心のザイルでつながった仲間と挑んだアイガー北壁「日本直登ルート」
登山家グループの隊長だった加藤滝男さん(75)がスイスインフォとのインタビューで、信頼のおける仲間と成功させた挑戦について語った。

2019/06/13 アイガー北壁「日本直登ルート」開拓の日本人登山家 思い出の地で再集結
上記動画の50周年記念イベントについてのswissinfo.ch記事

2020/03/30 アイガー北壁「日本直登ルート」を開拓した加藤滝男さん死去
アイガー北壁に隊長として新ルートを開拓した加藤滝男さんが死去。ジュネーブ在住。

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